なぜコーチが必要か

サロンメンバー限定記事

はじめに

大学から始めることが多いアルティメットの多くの団体にはコーチがいません。歴史的に自主的に練習しているからということが理由として多いのでしょうが、実際にコーチをつけている大学は最終的に結果を残していますし、代ごとに大きく順位がばらつくこともないように思います。

コーチをつけたほうが良いということはここでは明言しませんが、私が携わっている会津大学の例を挙げながら書いていきたいと思います。

そもそもコーチとは?

そもそもコーチとはどういう意味なのでしょうか?ウィキペディアによると、

「コーチ」という語は、ハンガリーコチ(Kocs)という町の名に由来する[1]。コチは四頭引きの四輪大型乗合馬車が走った最初の地であった[1]。そこから「人を目的地に運ぶ道具」がコーチであるとみたイギリス人学生が、スポーツ指導者をコーチと呼ぶようになったといわれている[1]

https://ja.wikipedia.org/wiki/コーチ

欧米[編集]

19世紀ごろのオクスフォード大学で、家庭教師チューター、tutor)を指すスラングに、このコーチ (coach) の語が用いられたことが、英語のコーチ (coach) に指導の意味が派生した契機となっている。スラングとされたのは、当時のイギリスの教育では枝むちが用いられていたためだが、「(人や荷物を)馬車で運ぶ」ことになぞらえて、名詞として指導指導員を指す正規の意味となっていった。また、「馬車で旅行する」という自動詞から「(家庭教師のもとで)勉強する/訓練する」という意味も生まれた。

コーチの動名詞形であるコーチング (coaching) は、馬の愛好家を中心に、riding horse などの語法に代わる乗馬四輪車両を牽引しない馬の疾駆)の俗語としても用いられるようになったが[2]、一方でアメリカ英語ではコーチをスポーツの指導の意味でも使うようになり、それが訳されることなく外来語として日本でも使用されるようになった。しかし、世界共通語ではなく、大陸欧州などの非英語圏では、もっぱらトレーナー (trainer) と語源を同じくする語が使用されている。その場合、トレーナーが日本語の監督を意味していることもある。

同上

日本[編集]

スポーツ用語としてのコーチという言葉は、日本では20世紀の初頭ごろから使われ始めたとみられる。文献上での初見は、1921年に出版された「新しき用語の泉」で、『野球の用語で、走塁者を指揮し声援すること』として解説されている[3]。ただし、1906年4月16日付の東京日日新聞では『毎日々々コーチャーたるメリー氏は……』とあることから[3]、コーチャーという言葉の方が先に定着したことが窺える。

1930年に出版された婦女界社の「結婚心得帖」には、指導する立場の者が必ずしも信用の置けない例として、『家庭教師や水泳教師、さては庭球のコーチャーなどにも、相当仮面を被ってゐる者があります』とあることから[3]、この頃にはすでに野球以外の外来スポーツにも使用領域が広がっていたものの、コーチ(指導)とコーチャー(指導員)が明確に使い分けられ、いまだコーチャーの用法の方が主流を占めていたとみられる。

同上

起源である欧米と日本での使われ方が違うようですが、日本でのコーチのイメージはもっぱら指導する人という意味合いが強いように思います。

先輩という名のコーチ

私は15年以上会津大学のコーチとして存在してきたと個人的に思っています。東北リーグにおいても同じような存在ではないかと思ってもいます。福島県フライングディスク協会が開催している毎週金曜日のしもごうナイト(アルティメット)や毎月第1日曜日(来年度からは土曜日に変更)のしもごうマンスリー(ディスクゴルフ)でも同じく接しています。

会津大学の強みは先輩が一緒に練習していることです。社会人になってもアルティメットの練習に来る先輩には必ずきらりと光る“何か“があります。素早い球出しやダビングブロック、驚くほどのスローオフなど、学生時代には真似できない素晴らしい“何か“があるのです。それを学生たちは間近で接することができる。そこに成功体験があるのです。

私の指導方針は、“教えない“です。教えず、やってもらう。アルティメットであれば走ったら投げるの繰り返しをしていきます。スローを教えるときは一緒に投げます。シャドウイングをするのです。あとは感覚を掴んで神経を増やしてって言ってます。

教えてしまうことで、上限を決めてしまうことを避けています。基礎ができたらあとは応用あるのみです。応用とは常にトライアンドエラーです。

コーチは必要か?

もし先に述べたこと、つまり“俺の言っていることが正しい“的なコーチであれば要らないでしょう。その先が知れています。しかし、自分たちのことを理解し、その情熱の行き先を整えてくれるコーチであれば絶対にお願いすべきです。

誰しも正しいことをしています。間違ったことなどは存在しないのです。でも、その方向がチーム全員で違っていたとしたら、努力は報われることはなく、むしろ情熱があればあるほど空中分解してしまうでしょう。過去にはそういったチームがたくさんありました。

もちろん稀にチームが一致団結し、素晴らしいチームパフォーマンスを見せてくれることもあるでしょうが、それが長く続くことはないでしょう。たまたまです。次回への期待は人への期待に変わり、その期待は儚いものになるでしょう。

試合において重要なことが、自分のことに集中することだと考えています。ですからチームメイトに期待することはあってはならないことなのです。むしろチームメイトのミスすらカバーするくらいの気概が勝つためには必要です。

コーチとはその気概を与えてくれます。情熱を勇気に変えてくれるのです。自分に集中することで生まれる“余白“が勇気に変わるのです。

今まで素晴らしいコーチをたくさん見てきました。最近では上智大学のウィメンをみていた本田貴久くんがそうです。彼はずっとチームに寄り添ってきた。主張せず、ずっと彼女たちの言動を観察してきた。その成果が大学選手権の輝かしい結果なのではないかと思います。

那須くんも素晴らしいコーチだと思います。彼が関わったUNOや早稲田大学ウィメンがそれを証明してくれています。

もし自分たちの情熱を導いて欲しいのであれば、コーチを活用すべきだと思います。

今後の課題

コーチが誰なのかがわからないことが今後の課題です。可能であれば、コーチのマッチングサイトがあったらいいと思っています。これからコーチになりたい人にも必要かなと。

最後に

わからないことをGoogleする世代にとって、情報が全てです。その情報が正しいものであってほしい。そのために立ち上がる時期に来ている気がしてなりません。

私たちが立ち上げたDISCEDGEもそういうことが根本にあります。人と人をディスクで繋ぐ。たくさんの思い出が生まれますように。

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